公正競馬引退編

昨日の続きです。近代競馬では競走馬が出走するすべてのレースで全能力を発揮することはできない(しない)ということが周知の事実となっている。それは極端な激走の末に2度と活躍することができなくなった馬や人気馬が休み明け2戦目で簡単に凡退する場面を数え切れないくらい見せられてきたことによる。また、常に人気を背負いながら掲示板をさまよい続ける着拾いや、逆に外国人や地方騎手がゴリっと勝ってしまう背景などもいまでは広く知れわたっている。だからこれを八百長だと激昂する人はほぼいない。貴重なお金を賭けているにもかかわらず、大多数の人は競馬とはそういうものなのだとしっかりと刷り込まれてしまっている。
自分の身は自分で守れというわけで、馬券を買う人間はヤラズを避けるために、いつどこで勝ちに来るのかをどうにかして考えなければいけない。騎手の乗り替りとか番組表とか調教の変化とかはもちろん、冠婚葬祭とか馬主席とかエージェントとかまあいろいろあるらしい。そのひとつとして、関係者の引退は花道を飾るってことで勝負駆けを警戒することになっている。それで今月は新聞やテレビでもこのことが大々的に語られていた。なんでそんなに引退時に勝ちにくるのかいまいち納得できないのだが、どれぐらい納得できないかというと0−2で後半残り5分の状況で「まだ時間はあります」と言われるくらい腑に落ちない。別に現役バリバリのときに勝ちまくってればいいわけだし、百歩譲って引退時に勝ち逃げしたいとしても年明けぐらいから頑張るんじゃねーの?まあそのへんは個人的意見でどうでもいい。
別に引退時ヤリに行くのは大いに結構なことだ。勝って締めくくりたいと思うのは人の子として至極まっとうな感情だ。つーか競馬においてヤリに行って悪いなんてことはない。だがしかし。まわりが空気を読んで勝たせなきゃいけないってのはどうだろう。これは馬券を買ってる人に対する重大な裏切り行為だし、そういうアシストを容認どころかまるで奨励(賞賛)するようなことを言っている人までいる。いくらヤリヤラズを暗黙の了解としている近代競馬といえど、そこまで馬券買う側が温かく見守る必要はないのではないか。仮にそれが真実だったとしても、それを面白がったり納得する素振りを見せることはいかにも玄人気取りな感じがして実にいやらしい。棒読みでもいいから公正競馬に反すると言うべきだ。
ディープインパクトの件でもそうだったけど、どうもわれわれは調教師に甘すぎる。競馬の世界でいちばん黒いのは確実に調教師。騎手を乗せるのも干すのも実は調教師。凡走すると全面的に騎手が叩かれることが多いけれど、実際のところそれが技術だけのせいなのかっていうと微妙な気がするんだよね。幸の活躍*1とか見てると。だいたいみんなで頑張って勝たせて花道飾った感動だ奇跡だーってみんなで騒ぐこの状況、傍から見たらきっと異様な光景だよ。

*1:いろんな意味でね