普通感ゲーム

無気力すぎて倦怠期。安田記念は見てのとおりだから別に言うことないので、秋葉原殺人事件について。たまたまかもしれないけど、チラっと見わたした感じではキチガイのやったことだからそれほど騒ぐことじゃないみたいな雰囲気が支配的な様子。まあ、ある意味ではそうかもしれないし、結局殺されたわけでも殺したわけでもない人の言葉なんてという感はいつもながら否めない。ただ物事はケースバイケースなのだから、こうきたらこうみたいなことを言って満足してもなあという気もする。それじゃあマスコミによる「ゲームは悪影響キャンペーン」と変わらない。例えば、推定無罪とか言われても意味がわからない。
ゲームの影響というのは、暴力などの現実では非常識とされる行動に慣れてしまい、実行に移すためのハードルが下がるのではないかという話。これはそういう効果が人によってはあるかもしれないし、無いかもしれない。仮にあったとしても実行に移すかどうかは結局本人の意思なので、解き明かしてもあまり意味の無い謎だと言える。
死刑の話では、キチガイにはどんなルールを設定しても通用しないし、自殺のために積極的に死刑になろうとする奴までいるから意味が無いとする説がある。これはそうなんだけど、じゃあ逆にまったく罪に問われないとしたら人間は殺しあわずに暮らしていけるのかというと、まあ無理だろうなと想像する。じゃあ死刑を予期させることで殺されずに済んだ命だってあるんじゃないかなと。つまり、どんな視点でもキチガイに絞って考えてしまえば話はそれで終わってしまう。この世の大多数は普通の人だ。
それらをふまえて事件の話に戻ると、この加藤なんとかって人は歴代の殺人鬼に比べるとわりとまともな方なんじゃないのかなと思った。もちろん凶行におよんだ実績そのものはモンスター以外のなにものでもない。でもなんとなくこいつは人間に近い気がする。ストレートに言えば、実際やるかやらないかなんて紙一重なんじゃないのかということ。ややこしく言えばこの犯人はファンタジーに欠ける。反陽子爆弾とかハルマゲドンとかそういうのでてこない。
で、格差社会の話。すぐ社会のせいにするのはゲームのせいにするのと変わらないように見えるけど、そんなことはない。なんせ本人が直接的にそのようなことを実際語ってたわけだからね。無意識下に影響があるのかも・・なんて話と同列なわけがない。もし、この犯人にも失うものがあったならば、やってなかった可能性があると思う。いや何かあったのかもしれないけど、それ以上に「無い」と感じていたのだろう。勝ち組から見れば、負け組も普通人も変わらない。同じように負け組から見れば、普通人も勝ち組も似たようなものだ。しかも実際に、勝たないと普通になれないよという空気が共同幻想として完成されている。普通の人でも自制心なんて期待できないのに、普通になりそこねた(と感じる)人が増えていくとどうなるか。みちアキ先生のおそれていたことが現実になりつつある。