馬名狩り

月曜ブック一筆啓上に山野浩一が馬名について書いている。多くの人からいい加減な馬名はどうにかならないかという声があるらしい。で、かつてのJRAの基準はお堅い感じで、それをあまりにもひどいもの以外は通すべきだと言ったのが山野先生らしい。なので、責任を取って珍名擁護にいくのだが、個人的には超展開な擁護論だった。

どんな馬名が好ましく、どんな馬名が奇異に思えるかは人によってさまざまで、生活環境や教養、経験などによって違ってくるものともいえよう。

世界史やドイツ語に親しんだ人なら○○ダンジグというような馬名が無教養で恥ずかしいものだろうが、ダンツィヒに関する教養を持った人の方が少数派で、実際にアメリカ人の90%以上がダンジグとしか発声せず、教養ある人もダンツィヒでは通じないので諦めてダンジグで会話している場合も少なくない。

あまりの上から目線と、まだこういうこと言ってるのかという執念に感心した。まったく年寄りってやつは同じことしか言わない。ダンチヒについては読み方の違いなんだからどっちでもいいだろ。三国志の登場人物を気取って中国語読みしてるやつがいたら逆に気持ち悪いし。そこを教養の違いとか考えちゃうのは、なんていうか教養と引き換えに何かが欠落してるんだなあと思う。

最後の方に得意のピルサドスキーの話も出てくるけど、そんなこと言ったら香港とか発音どころの騒ぎじゃないわけだし、「ポーランド国民への誹謗」とか言いすぎにもほどがある。じゃあオウケンブルースリとかも教養が足りないよね。だいたいそういう言い方は、ポーランド国民はそれぐらいのことで誹謗と感じる器の小さな国民であるということを宣言するに等しく、極めて失礼だ。

先日、ナイツがコンビ愛を確かめるというドッキリ番組があったけど、そこでナイツ土屋が自分で描いた超うまい競走馬の絵を出すシーンがあり、そこで出たテロップはウオッカではなくウォッカだった。教養あふれる議論も一般世界から見たら馬鹿馬鹿しい議論だよということです。