始まりと終わり

今週は競馬の祭典有馬記念であり、今年最後の競馬ということで気合がモリモリと高まってきています。心の平静を乱さないために麻雀もやってないし、体調もなんとか上向かせて悔いの無い仕上がりで週末を迎えようと頑張ってます。最後の最後でじだばたしないように日頃から常に頑張ってれば良かったんですけどね。まあ過ぎたことをいまさら悔やんでも仕方ない。生きて競馬ができるだけラッキーですよ。世の中で競馬をやる人は依然として少数派だと思いますが、こんなにも面白い競馬というものをやらずにどうやって日々生きているのか不思議でしょうがない。競馬より面白いとか大事だってことはそりゃいろいろあるとは思いますけど、別に競馬をやったからといってほかのことが何もできなくなるわけじゃないのだから、試しにちょっとやってみればいいのに。もったいない。
さて、ここからは神的な話です。競馬の結果というものは決して不動のものではありません。どのレースでもたまたまそういう結果になっただけであって、そうならない世界もありえたのです。だから、馬券が当たったというのはレースを読み切ったとか解き明かしたというようなものではなく、正しい選択をして幸運に恵まれたぐらいのものだと思います。正しい選択をしても風向きが悪ければ当たらないし、適当にやっても当たるときは当たる。そういうものです。最善を尽くすことはできても、結果をすべて説明することはできない。これは麻雀だともっとわかりやすい。待ちの種類が多いからといって必ずあがれるなんてことはないし、誰が見ても事故としか言いようのないフリコミとか超当たり前のように起こる。人はそういう理屈で説明できないところを「流れ」と呼んだりするのだけれど、無茶な選択がうまくいった時などなにかの存在を感じずにはいられません。そしてそれは人生も同じ。どれだけ頑張っても報われないってことはあるし、逆に何もしてないのに突然いいことが起きたりもする。でもじゃあなにが人と人との差を作るのか。いいことがやがて悪いことになったり、悪いことがかえっていいことになったり。人生のすべては最初から決まっているのだろうか。有馬記念は何が勝つのだろうか。この手の話は人それぞれでいろんな考え方があると思いますんで、例によって適当に締めて結論までは言いません笑。