意見交換に勝ち負けとかないのに

僕も大人になって最近思うのはどんな意見や感想も、もっと大きく言えばあらゆるできごとはある面から見ればAだということができ、見方を変えればBだとも言えるということで、完全に正しい答えなんて無いのだからどの意見も正しさやおかしさの濃さが多少違うだけであって宇宙の大きさに比べればどの意見も似たようなものでしかない。特に息を吸うように文章を書き続けてきた有名ブロガーともなると、あるひとつの事象についてその気になればどのような意見を展開することも自由自在だろう。
今日売りの競馬ブック山野浩一氏が国際化について語っているがこれなんか実に典型的で、国際化に失敗した野球は人気が没落し、国際化を全面的に取り入れたサッカーは人気爆発でしょ?みたいなことを平然と書いている。国際化を推進する人から見ればその通りだと言うのかもしれないが、おそらくそれ以外の人はこのような乱暴な例では簡単に納得しないと思われる。ついでに言えば、仮にもっと正しそうなことが言えたとしてもそれはより正しそうなことが言えたというだけにすぎない。
このように日々飛び交う議論や言論はその程度の虚しいものであって、これがブログなどという誰でも気軽に書けちゃうようなものではなおさらだ。うまく言えてねーですけどなんか自分のメンツを守るとかその他なんらかの目的を果たすために言葉を小賢しく操っているだけで、真剣な議論とか意見交換ってめったに無いように見えるわけです。だから文章がきちんとしててもっともらしいことをお行儀良く書いてる文章なんか見ると逆に全然迫ってこない。表面的にそう振る舞ってるだけの文章だったりするともう見てられない。
まあ簡単に言うと見た目じゃないってことかね。ところが最初に書いたように文章の内容の優劣なんて実はあってないようなものなのだ。なるべく正しいことを言うにこしたことはないけれど、正しかったり間違ったりなんて人間なら当たり前だしね。見た目や内容よりも大事なことは別にある。と、僕は思っているけれどあの人やあの人がカリスマ的人気を集めているように、世間的にはどうでもいいことなのかもしれん。そしてこれはいろいろなことについても言える。競馬も同じ。前置きのつもりが長くなってしまったのでヴィクトリアマイルの話はまた後日。