週末のテレビ感想

昨日のガキの使い凄かったね。これだけやって最後に浜田が制裁を受けないとトロネイさんがまた大変なことにっていうかもう内容よりもそれだけが気になって仕方なかったよ。結局浜田がやるだけやってそのまま終わるという衝撃的な結末だったわけだけど、思うにたとえ最後に浜田がやり返されてこれはお笑いですということが明確に示されたとしても、それでああそれならまあいいか!ってことになるのかなあと。
単にお笑いは仕事だとかある意味フィクションなんだと思えればそれで問題ないんじゃないのかな。人をいっぱい殺すからといって三国志が悪影響だとは思わないし。不快な人は不快ってことでそれは理屈じゃないと思うんだよね。いじめへの影響という文脈でいうなら、いじめるやつはいじめるしいじめられるやつはいじめられる。浜田がどれだけテレビの中で優しくしたってきっとそれは変わらない。テレビも無い古きよき昔にはいじめなど無かったなんてこともないだろう。まあおれはおれでごっつ後期の前衛的な笑いは嫌いだったし、そういう荒技に頼らず笑いを作り出せるならそれにこしたことはないのだろうけど。

参考文献

大浜田だよ!(関内関外日記)
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070625#p1

スペースが余ったのでついでに土曜日のライアーゲーム最終回について。4巻より先の原作でどうなってるのか知らないけれど、3回戦の終盤はただの後出しや半分偶然みたいな展開に見えて正直あまり鋭さが感じられなかった。ただひとつだけ勝手な解説を述べさせてもらいますと、神崎直が敗者復活戦で唱えた自分だけ儲けようとせずみんなで協力し合えば全員が助かるというのは囚人のジレンマや「社会的ジレンマ」(山岸俊男/PHP新書)そのもので、お互いが相手を信頼して自分だけが犠牲になるかもしれない不安に打ち克つことができれば、みんなが最大の利益を得られるというやつね。
ライアーゲームの凄いところはこれをあの設定のなかでぶちあげたことにあると思う。一見、嘘つきと馬鹿正直、つまり悪と善みたいな構図に見えるけれど、別に登場人物が、言い換えると人間みんなが本当は悪い奴じゃないんだってことではないと思うんだよね。実は社会的ジレンマの肝は「自分だけが馬鹿を見るのは嫌だ」という点にあったりする。要するにまわりがみんな協力するなら誰だって自分も協力できる。それはいい奴とか悪い奴とかそういう問題ではなくて、そんな状況かどうかってだけのこと。そういう世界になるといいね。