意見を聞いたり反省したりするのも自由だ

先日若気の至りでコメント欄にちょっかい出したところが話題になってたので見物したところ、どうやらそこの人はめんどくさい人物だったようで、罪悪感損した笑。

ブログのプロフィール欄に大学名を書くのは自由だし、芥川賞なんか簡単に取れると豪語するのも自由だ(岩本隆史の日記帳)
http://d.hatena.ne.jp/IwamotoTakashi/20070729/p1

内容そのものについては考え方の違いというかただの好き嫌いというか興味無いんで好きなようにしたらいいと思うんだけど、人の自由を批判するなと言って自分も人を批判しているじゃないかとの指摘にそんなことはないと言い張っているのが微笑ましい。その理由がふたつあるみたいで、ひとつはあいつらのは公共の福祉に反してるけど、おれのは反してないからだそうだ。憲法かよ。まあ冷静に考えてその区別はただの主観だよね。自分の気に入らない記事を叩きたい(たしなめたい)という点では同じに見える。
もうひとつは、批判された人を励ましたかっただけで発言者を批判した覚えは無いとのこと。公共の福祉に反すると言い切っといて批判ではないと。怒りも覚えたのに?

私は彼らに、はっきりいって怒りを覚えるのだが、彼らと議論したところで不毛なのは目に見えている。リンク先のような記事を書かずにいられないほど彼らが感情的になってしまったのは事実なのだから。「あげつらうような話じゃないんじゃないの?」という批判など彼らの耳に届くわけもない。残念だが、性格の違いと割り切るしかない。

なによりあれなのが、自分の言いたいことだけ好き勝手に言っといて、同時に議論するつもりは無いとか言ってるのがヤバイ。その理由は、素人同士の議論は不毛だということに気づきつつあるからだそうです。素人ってなに?議論が不毛になるかどうかは肩書きで決まるんじゃないですよ。素人でも話のわかる人はいるし、偉い人でも頭の中がお花畑な人はたくさんいると思います。議論の参加者にお花畑がいるかどうかが議論の成果を左右すると思うので、その発言は君たちのようなお花畑と話しても無駄だと言っているに等しく、超失礼です笑。で、最後がこれ。

伝わる人に伝われば良いので、それ以外の人がどう思おうと関知するところではない。

文章の書き手と読み手というようなお話であればまったくもってその通りだと思いますし、誤読する人にいちいちつきあうのはめんどくさいと僕も思いますけど、向こうの人もそう思っているのではないでしょうか。自分が誤読してたり言いがかりをつけている側だったとしたらそのセリフ相当間抜けですけど大丈夫ですか?一点の曇りも無いですか?

公共の福祉の基準を決めたり、複数の人間に向かって議論の能力について不毛なほど低レベルだと発表したり、間違っているのはおまえの方だといわんばかりの捨て台詞を吐いたりと相当自分に自信がおありのようですが、実名ブロガーってそんな人ばっかりなんですか?部下とかに笑われたりしないんですかね。心配でたまらない。