いろんな考え方があるから面白い

めんどくさい人のしょうりせんげんを読んだけど、あんな短い文章なのにツッコミどころが満載で逆に凄いなと感心した。無駄が無いっていうのかな。見習いたいよ笑。
さて、アドマイヤムーン買収について各地で盛り上がっているようでとてもうらやましい。楽しそうだけど知識が無いので参戦できない笑。みんなすごい。というわけで僕は全然関係無い話をします。アドマイヤムーン買収の話で、たいてい日本の競馬はどうあるべきかみたいな話に発展してるような印象があるのだけれど、そんなのどうせみんなバラバラじゃないですか。ファン全体ならまだしもひとりひとりの競馬観ごときでは近藤オーナーや石油王のそれと比べて1票の重さがあまりにも違いすぎて勝負にならない。そもそも売却がなにか悪いことであると仮定しても、40億積まれて公共の福祉に気を配れる鋼の心を持つ人間なんてそうそういないと思われる。結局われわれは強力なプレイヤーや実権を握る一部の人たちの作り出すこの国の競馬を見守ることしかできないというのが現実だ。そういう有力者たちがおかしな選択をしないように祈るよりほかはない*1
で、話はここからおもわぬ方向へ。未来の競馬のあるべきすがたを真剣に考えてあげる人と、どうなろうとそのままの競馬を受け入れる人とではどちらがより競馬に対する愛が深いのだろうか。言い換えるなら、絶対に浮気なんて許せないと言う人間と、相手が幸せならば浮気でもなんでも許せるという人間とではどちらが相手を愛していることになるかという笑。前者は相手が愛してくれないなら自分も愛せないというような身勝手さが、後者はどーだっていいよ的な相手に対する興味の無さが潜んでいる。どっちもどっちなわけですね。
何が言いたいかっていうと、物の見方は人によるってことですよ。宇宙の大きさに比べればアレとコレとの差なんて些細なものです。人は日々その些細な差を好き嫌いで選びながら暮らしてるわけ。その人の人生なんだからなんでも好きなように捉えたらいい。正しいと言われることだってそう考える人が多いというだけのこと。実際のところはわからない。
試しに、人差し指と中指を交差させて自分の鼻を触ってみよう。すると、自分の鼻の数さえ不確かなことなのだということがわかる笑。それさえわかっていれば、目の前のセカイをどう受け止めようとそれは本人の自由だ。ときにはそれでこいつ頭悪いなとか思われることもあるだろうけれど、基本的には思ったことを書けばいい。

*1:だからこそみんな不安なのだろうけどね