ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序感想

札幌記念の前の日が公開初日だったわけですけど、札幌記念の1着2着の騎手の名前!!競馬ってほんと面白いですよね!さて本題の新劇場版ですけど、この界隈で感想出してるのは関内関外日記さんぐらい?まあ絶賛って感じでしょうか。エヴァなんて知らないって人は大変だけどまずテレビ版+旧劇場版を全部観てから観た方がより楽しめるかと思います。

以下旧作のネタバレ笑。


そもそも旧劇場版(THE END OF EVANGELION)というのは、テレビ版の最後の2話が突然本編の物語から外れ、過去の素材を使いまわしたりした不可解な映像表現に終始し、結果としてファンの期待を大きく裏切ったものとなったことから、ちゃんとしたものを作りますので勘弁して下さいということで作られた完結編だったわけです。
では、旧エヴァンゲリオンのテーマとは結局なんだったのかというと、ひとつはこの世の中は子供たちにとって過酷な世界であるけれど捉え方次第で世界を変えられる可能性はあるぞということ。もうひとつはアニメオタクは現実に帰れ*1というもの。テレビ版の結末と旧劇場版は見た目は大きく違っていても言ってることは結局同じだった。
テレビ版25話「終わる世界」は各キャラクターの悩みや不安を見せ、合間にはミサトやリツコの死に様が出てくる。そして体育館でその様子をパイプ椅子に座って観ているシンジが「これは?」と聞くと「人間の補完計画」と言われる。「この形も、終局の中のひとつ」というセリフからこの25話が現実の辛さに負けたバッドエンディングだということがわかる。反対に26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」では楽しげな学園アニメが展開され、その台本が映り、ジオラマセットの第3新東京市をシンジが横から見下ろしている。そして、「そうだ、これもひとつの世界、僕の中の可能性」とシンジが気づいてハッピーエンド?になる。世界は自分の選択で変えられるということを、シンジはアニメを観て学んだわけです笑。
旧劇場版ではこのシンジの選択がはりつけになった初号機の中で行われている。ご丁寧に「未来は碇の息子に委ねられたな」とまで言われてる。象徴的な2つのイメージシーン。羊水にひたりレイと合体しているシンジ。いつもの部屋でアスカと怒鳴り合っているシンジ。シンジがどちらを選択してどうなったかはご存知の通り。ただそれであの世界がその後どうなったのかはよくわからなかったわけですが。
というわけで、旧作ではファンの期待が大きすぎて逆に期待に応えないという屈折ぶりを見せつけられたわけですけど、なにかふっきれたのか新劇場版では素直にかっこいいアニメ映画を作りましたっていう感じがある。まあまったく同じじゃやる意味無いしね。これがこのままスンナリ行くのかどうかは知らないけど全然違う話になったらそれはそれで面白いな。

*1:シンジの自閉、テレビ版での裏切り、旧劇場版の実写部分等