戦争の結果はいつでも曖昧だ

定軍山の戦いで夏候淵を失った曹操は漢中防衛のために20万の兵を率いて自ら漢中に出向いた。しかし、いきなり趙雲の奮闘によって大打撃を受け、立て直した次戦では徐晃が勢い余って背水の陣をしき、それに反対した王平が蜀に寝返って敗退。歯を食いしばって陽平関にこもると孔明兵糧攻めを開始。苦し紛れに飛び出せばいいように叩かれるという苦しい状況に陥った。遠征も半年を超え、魏軍の士気は衰え脱走する兵も目立ち始めた。もう勝負はついているようなものだから当たり前の話である。
曹操自身もそのことは十分わかっていたのだが、夏候淵を討たれいままた国主である曹操自らが尻尾を巻いて逃げ帰り、要地漢中をあっさり蜀に明け渡していいものかと悩んでいたのだった。このまま戦えば被害は拡大、退却すればメンツが立たない。そんなとき、晩ごはんに鶏がらのスープが出された。曹操は思わず「鶏肋鶏肋・・」とつぶやいたという。それを聞いた文官・楊修は、「鶏肋とは捨てるにはもったいないが食べようとしても肉はない。つまりこれはいまの漢中のことを言っておられるのだ」と言い全軍に撤退の準備をさせた。
それを聞いた曹操は勝手なことをしやがってと激怒。楊修はただちに処刑された。楊修は日頃から曹操の思惑をいちいちすぐに見抜いてしまいプライドの高い曹操にとって大変おもしろくない存在であった。曹操は楊修の才を怖れ、何かあれば処刑してやろうと待ち構えていたのである。
そんなつもりで言ったわけじゃないと意地になった曹操は総攻撃を開始。当然うまくいくはずはなく、魏延の矢で前歯を折られるという屈辱まで受けて敗走。総崩れとなった魏軍の誰もが楊修の顔を思い浮かべた。あのとき漢中に見切りをつけて大人しく撤退していればこんなことにはならなかったのにと。


とまあ才能がありすぎて嫌われた人の話だったわけですけど、この処刑が本当に間違ってたかどうかはわからないですよね。まず無事に撤退できるかどうかはわからないわけだし、曹操が懸念した威信の低下だってその後に何らかの影響があったかもしれない。何より楊修を生かしておいた場合、この後起こる曹ヒと曹植の後継者争いがこじれることは必至だったと思われる(楊修は曹植の教育係)。事実、魏は蜀に勝つわけだし強引にいって敗れはしたものの、全体的にはたいしたことなかったってことでいいんじゃないかな。要するに、選ばれなかった過去の続きは誰にもわからないということです。