他人の幸せ

「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ(はてブhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2

あるわかりやすい幸せの形が見えたとしてもそれは部分的かつ表面的なものでしかないわけで、それは本当に幸せなのだろうか?とか、それを永遠に維持しようとするための終わりなき努力など実際には一考の余地がある。他人の人生の全貌を知ることも不可能だ。
わかりやすくすると、「やったー競馬で100万円勝ったー」というおれを無気力にする幸せブログがあったとする。日頃馬券が当たらず、これといったいいことがまるで起きないおれは心から妬ましいと思うけれど、切れ味鋭いおれは、でもきっとすぐにどうせあぶくぜにだからとか言って無駄に溶かすんだろうなあと思って心を癒すわけ。これまでに桁違いの勝ちっぷりは何度か見てきたけど、逆にマンガに出てくるような壮絶な大敗ってあんまり見た覚えがない。みんな負けた話はあまりしない。そう考えると、100万馬券を取るまでにいくら使ってきたかも不明なわけだ。ギャンブルの勝ち負けなんてものはまあ途中経過でしかないわけで、死ぬまで決着は着かない。病的ギャンブラーはたいていそういう無限回廊をぐるぐるまわってるだけなんだよね。だからたまにそういう人に一筋の光が射すことは微笑ましいなあ良かったなあとも思う。顔は真っ赤だけど。
ただねえ、不幸だからと言って他人を妬むなとかいう正論をぶちかます人は結局、そう言えるだけの余裕があるってことなんじゃないのかね。あと誰からも妬まれないってのは所詮そんなものたいした幸せじゃないってことになっちゃうから、妬まれた方はむしろ喜ぶべきだと思う。それから、誰にだって何らかの問題はあって完全無欠に幸せなわけはないんだから多少の幸せ自慢ごときで落ち込むことは無いと思うよ。なんなら底辺を這いつくばるおれとか見て安心すればいい。