まるで自己啓発セミナーのようだ

100円のチョコパンをほおばりながら今日も例の人にまつわるエントリを何個かななめ読みしたんですけど、まあ要約すると君のやり方は間違ってるよしっかりしろよってな感じかと思われる。みんな大人の回答として満点に見える。正しい。でもどうなんだろうね、はたしてその声が届くのかどうか。普通の人には簡単なことが、うまくできないから問題児なわけでしょ?頭ではわかっていても実行できないことだってある。
インターネッツを見わたせば現実に地位があったり専門知識を持っているようなエライ人であっても話が通じなかったり支離滅裂なことを言い出しちゃう人はいくらでもいるわけですよ。彼らはきっと現実世界では特別な問題もなくさっそうと風を切って生きていけてると思うんですよね。でも逆パターンとしてネットでは・・ってな人もいるわけだ。例の人に対しては擁護の声もあっただろうけど、騒動が広がるにつれ表現の自由とは別問題であることに気づかれたり、彼女の過去の前科が掘り起こされたりするなどもあり、結局のところ常識的な正しさという点で世間的な雰囲気としては「有罪」みたいなムードに収束しつつある。けれど、彼女自身が言っているとおり、ネットで毒を撒き散らしてる程度で済んでるんだからありがたく思えというのも善悪はともかく現実問題としてそういう面もあるのかなというのが難しいところ。

名指しもしていない殺人のほのめかし行為を多数派の思想で言論統制することで、ウェブ上のネガティヴな文章を排除できたとしても、その抑圧された苦しみが現実世界で爆発してしまうなら根本的な問題は何も解決できていません。

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/bd14671cabb80271ea06f779c693ef73

もし本当にブログで自分の苦しみを叫んだり、その憎悪をネットに叩きつけることで心の安定を図っているんだとすればそれをむやみに取り上げるのも冷たいというか早計というか。実際、人気者なわけだし。それはそれとして、人が他人のためにできることというのは少ない。本当に少ない。まさに苦しんでいる人が目の前に!ということだってあるリアルの世界でさえもそうだ。世間の無関心と自分の無力さにはいつもウンザリする。そういう後ろ暗いところが僕にはあるので、たとえ苦しい苦しい言ってるだけだったとしてもそれを健康な人が説教するというのは悲しい光景だなと思う。