理想と現実

そういえばこないだの日曜日、チャンネル替えてたら将棋やってて久しぶりにちょっとだけど観てみた。将棋の日のイベントかなんかで羽生と森内が対決してた。これでも子供の頃は結構な将棋好きだったんだけど野球といっしょでいつのまにか興味なくなってたんだよね。まあ限界を知ったというかなんというか。将棋は運とかないからね。1対1だし実力差があると順当に勝ち負けが決まる。ちょっと覚えてくるとあとはもう頭の勝負になるわけで、そんな厳しい現実を改めて知りたいわけもないから逃げ出しちゃったんだろうね。超おれらしい。かわいい。
そこへいくと競馬は夢があるよ。レースからしてそうそう馬の実力通りには決まらない。そして賭ける方も自分が人と比べてどうなのかいまいち測りきれない。当たった時の記憶は強く残して、ハズれた日のことは思い出さない。そもそも馬券の勝ち負け自体どこで区切って確認したらいいのかもよくわからない。あとあれだな、控除率の関係で負けることがデフォルトだってのも心強いなー。自分をごまかし他人を蹴落としてまで稼がなくてもいいんだよと。競馬は負け犬にやさしい笑。
話戻って将棋の日にはほかにも有名な棋士が参列しててなんだか豪華そうだった。書き飽きたけど将棋のプロはあらゆるプロのなかでも段違いに凄い。対局中に血を吐いたり感極まって漏らしたりするんだぜ?最後の挨拶でそんな超人的能力者がずらっと並んだ光景はしびれた。そこへいくと競馬予想のプロっていうのはいるのかいないのかよくわかんねーけれど、カタカナ読めない奴とかいるぐらいだからなあ。張り切って有力なのを集めたところでみんな予想はバラバラなわけだし、それぞれの得意なレースがちょうどよくその日にあるとも限らんし。そういう観点でみると競馬予想のプロに必要なのはまず的中率ってことになるし、必然的に得意な条件が広くないとだめってことになるんだろうなあ。でもなんとなく上級者ほど条件の好き嫌いが激しい感があるんだよね。全レース予想とかはもちろん現実的じゃないけど、いざとなったらどんなレースでも予想できるぐらいのセブンセンシズを持ちたいですよね。競馬予想を極めるってのはつまりそういうことなんじゃないかなと思うけど2歳戦とかやる気しねー。