無能君という幻想

有能って、なんなんだろうなぁ。少なくともライフハックぐらいで人間が有能になったりはしないことはたしかだ。たまに、普通の人が有能になったりすることもあるけど、あれはなんなんだろうなぁ。

http://b.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080308#bookmark-7793970

部下や仕事仲間が有能か無能かっていうのを気にしてるうちは小物。なぜなら思ってるほど人間の能力を測るのは難しいから。そんなことねーよと思うかもしれないけど、大半の職業では「打率」とか出ないでしょ?客観的な指標が存在しないのだから、存在している評価は主観的なものなのです。さらにその主観的な評価をする審判の数を考えてみたら、いかに評価なんてものがいいかげんなものであるかということがわかる。本物は評価基準をわざわざ設定するより先にみんなに認められている、もしくはみんなが見えるところにはもういない。そんな人間はごく少数で日常を生きているのは普通の人間。たいがいは神様みたいないい子だよ。
いやでも、おれの部下の○○はマジで爆発してほしいほど使えないんだけど?という実例がおありかと思われます。実際そういう話はよく聞きます。ここに大きな罠があるのです。無能は害という話は多いけど、自分が誰かに育ててもらったという話は少ない。あと愚痴とか悪口を人に言うときってたいがい盛り上げるために話が大げさになる。そして、人間はいいことをされた記憶よりも嫌なことをされた記憶の方が強く印象に残る。最初は誰でも失敗ぐらいするものなのに、それを忘れてうっかりその序盤の失敗に注目してしまうと、そういう補正がかかってしまってどんどん使えない奴に見えてくる。無能君の誕生です。
逆に言えば、評価を下してる側は序盤戦でもないわけだから、それこそミスとかありえないはずってことになる。でも現実にはベテランだってノーミスを続けることは難しい。そういう理屈を知れば自然と慎ましさとか隣人愛とか、そういう優しさが生まれていって、無能を憎むなんてことはなくなるんじゃないだろうか。無能君の使えなさを会話の種にして積極的に腐らせるよりも、みんなで気を使って成長を待ってあげれば無能君だって覚醒するときがくると思うよ。