顕彰馬に意味はあるか

個人の思い入れとは無関係に顕彰馬は選出されるべき(血統の森+はてなhttp://d.hatena.ne.jp/momdo/20080511/p1

言われるまで気にもしてなかった顕彰馬問題が盛り上がっている様子。momdo様がすでにご指摘の通りみんなが納得する選出というのは難しい。そのうえ選んでる人(経験10年以上の競馬報道関係者)がまるで信用できない。そして名馬がたくさんたまっていくと票を食い合ってしまうという明らかに不思議なシステムのせいで、個人的にはどうでもいいなあと思ってしまう。どっちかだけでも改善できないもんだろうか。
このように選ばれる過程がよくわからないし、それでもう歴史が築かれてしまっているわけだから何か言おうという気もなえてくる笑。それで放置されてるんだろうな。現行のままでも例えば1次→2次みたいな投票にするだけでだいぶ違うと思うんだけどね。で、まあそれはそれとして顕彰馬とはどのぐらいの価値であるべきかっていう話がある。もともと顕彰馬って年度代表馬なんかに比べると現実的にはどうってことはない。おめでとう、ありがとうでおしまいだからね。だいたいそのクラスの馬ともなるとわざわざ顕彰などしなくても記録がすべてを物語るというか。すでに記録のうえで素晴らしいことになっている。競馬って記録の物語だからね。
それでもやる以上、顕彰という本来の意味においてはディープインパクトぐらいの名実共に突き抜けた馬を選んでいくことになるはずだけど、そうすると厳選されるがゆえに殿堂入り自体の意味は薄くなる。すごい記録の馬に向かってわざわざすごいねと言うのは作業みたいでちょっと虚しい的な。逆にサイレンススズカのように宝塚記念しか勝ってないけど歴史的な馬だから入れとこうみたいになると、あれもこれもということになって顕彰馬の趣旨とは微妙にずれてくる。ゆえに競馬において顕彰馬というのは適当な基準が決めにくく、どうやってもただのおまけみたいなものにしかならないのではと思います。