なかなおししような?

曹操軍が馬超を撃退したことで、漢中でまったりと教祖をしていた張魯もこのままでは次は自分が滅ぼされると思い、それならば先に南の蜀を奪ってしまおうということになった。蜀の劉璋は平和主義者なのでやる気はなかった。そこで張松という知力89の面白い顔の軍師が、曹操が先に漢中攻めたらいいんじゃね?ということを思いつき、おみやげをたずさえて曹操口説きに出かけた。
なぜ蜀はいままでみつぎものが無かったのか?と曹操が尋ねると、遠いし盗賊とかいるから無理でしたと張松は答えた。すると曹操は統治力が無いのだと馬鹿にされたと感じ、怒って帰ってしまった。張松がまじかよあれぐらいで怒るのかよしょーもな・・とつぶやくと、横にいた役人の楊修がそれは聞き捨てならないと曹操の偉大さをせつせつと述べた。しかし張松の食いつきが悪いので、楊修は曹操が書いた兵法書「孟徳新書」を誇らしげにみせた。すると張松はこれと似たのおれ知ってるし、蜀では子供でも知っている程度の内容だと言い放った。楊修は信じられないからじゃあ暗唱とかできるんですかと言うと、張松は全編をあっさりと暗唱してしまった。その報告を受けた曹操は真っ赤になり、威厳を示そうと自分の強力な軍勢を張松に見せつけた。しかし張松はひるむどころか軍隊使わないと統治できないんすか?というかわりと何度も負けてますよね?赤壁とかwwなどとからかう始末で曹操はついに激怒。即刻死刑にしろと命じたが楊修の「事情を知らないものが聞けばみつぎものに不満を持って他国の使者を斬ったなどと誤解される」との進言を聞き入れ、百叩きに減刑した。
張松は主君の劉璋ではこの時代生き残ることはできないと考え、かわりに国を守ってくれる強いリーダーを求めていた。ところが曹操が期待とはちがって高圧的だったので、ついむっとして無礼な態度でやりかえしてしまったのである。といって手ぶらでは帰れないので仕方なく世間的にも評判の良い荊州劉備を訪れると、客として歓迎されとても丁寧にもてなされた。曹操の態度との違いに感激した張松は蜀の地図を差し出し、援軍ついでにぜひ蜀を乗っ取ってくださいと告げて蜀へと帰って行った。これによって劉備は蜀にようやく国を持つことになるのだが、一方の張松はその蜀侵攻のさなか劉備と通じていることが兄によって露見し蜀の建国をみることなく死罪となった。


頭の回転が速い人は文章などを読んでも2文字目ぐらいでその内容を先読みし、2行目あたりではもう文全体の主旨を予測して読み取り終わっている。それは頭の性能だけでなく、同じような展開の文章を知識として持っているから、それをすばやく参照することによって先を読んでいるのだと思われる。また、知識の豊富な人は、なまじ豊富なアーカイブを持っているがために、そこに登録されていない未知の存在を認識できないことがある。曹操張松の面白い顔や都から遠いところから来た田舎者などというデータに惑わされて相手を侮り、蜀を譲り受ける機会をみすみす逃してしまったのだ。張松曹操のように態度によって損をするのは自己責任だけど、態度が悪いからといってその人が敵とは限らない。